心理研究ノート

教育心理学系の院進学を目指す学部4年です。勉強のための研究ノートです。

器官劣等性と補償(organ inferiority and compensation)

器官劣等性と補償

 

器官劣等性(organ inferiority)は、アメリカ心理学会(Amerika Psycoloigy Assosiation)の定義によると

実際のもしくは想像上にて、自身の臓器の機能や構造に異常が生じているというネガティブな考えにより、自分に欠陥があると感じたり、他の人より劣っていると感じる感覚

(the sense of being deficient or somehow less than others as a result of negative feelings about any type of real or imagined abnormality of organ function or structure.)

とされ、

補償(compensation)は、

あることに関する欠陥を相殺するために、別のことの力や能力で代替したり、開発したりすること

(substitution or development of strength or capability in one area to offset real or imagined deficiency in another. )

とされています。

 

そして心理学者アドラー(Alfred Adler)は、この器官劣等性と補償の関係を、彼自身が提唱する理論の中核としました。

そして、「人間が行う努力のすべては劣等感への反応(all human striving as a response to feelings of inferiority)」だとしてるそうです。

 

いろいろGoogle検索をしていると、例として、

・目が悪かったとき(器官劣等性)にメガネをかけたり、コンタクトつけたりすること(補償)

や、

・うまれつき足に障害がある(器官劣等性)子が、手を起用に使ったりすること(補償)

などが挙げられていますね。

 

最近だと、アドラー心理学は『嫌われる勇気』などのビジネス書でより身近に引用されている印象。そしてビジネス書だけあって、例示のような身体的な劣等よりかは、精神的な劣等(感)に焦点あてた話が多いように感じますね〜。

 

脳科学としての精神だったらorgan inferiorityで該当するのですかね。

 

 

アレキシサイミア(感情失認)

アレキシサイミア (Alexithymia)

自分の感情がわからないという性格特性のこと。米国の精神科医のシフネオスによって提唱されたということです。

精神的ストレスから身体に不調をきたした患者の多くに,自分の感情の理解や説明 が難しかったり,心理的なことがらに鈍感であっ たりする傾向を見出し,こうした症状をアレキシサイミアと名付けた。アレキシサイミアは日本語 で「失感情症」と訳されることも多いが,必ずしも感情が平板になったり失われるということで はなく,経験している感情を同定したり識別する ことができなかったり,これを表現できないと いうことがその本質であると考えられる

福島宏器. (2018). 身体を通して感情を知る―内受容感覚からの感情・臨床心理学―. 心理学評論61(3), 301-321.

 

自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?

ウェルビーイングの向上だとか、メンタルヘルスの促進だとかのために、「自己分析」や「自己理解」「自己認知」が必要だと聞くことが多くなった気がします。

 

ちょっと前までは論理的な正しさや数学的な正しさに沿って、禁欲的に、感情をコントロールして物事を遂行することが大事にされていたけれど、そうした客観的に正しいことを優先して、「私は」という主観を排除した結果、メンタルズタボロになりました…みたいな人が多くなってきたようで。

そこで最近聞くのは「身体感覚」とか「直感的なこと」とか、「私はどうしたいか/どう感じるか」といったことの重要性です。

就職活動でも「自己分析」というのはいわずもがなの必須事項ですし、何か物事を始める時には「原体験」があるといいなんて言われたりします。

 

ただ一方で、こんなこともあります。

不安な気持ちを抱えている人の話を聞いていると、「もしかしたら、ああかもしれない」「前にこんなことがあったから、次もああなるかも…」みたいにあれこれと思考を巡らせた結果悩みに悩んでいるということです。

そんな人には「あまり考えすぎるな」とか「もっと楽観的に」といったアドバイスをする人も多いでしょう。となると、あまり自分のことについてあれこれ考えすぎないほうが精神的な健康が保てるようにも思います。

 

というわけで、今回は「自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?」という疑問を解くために、

福島宏器. (2018). 身体を通して感情を知る―内受容感覚からの感情・臨床心理学―. 心理学評論, 61(3), 301-321.

を、読んでいきます!

なお以下では、「メンタルヘルスケア」を「精神的な健康」とか「感情的な健康」と言ったりします。正確な定義は違ってくるのですが、同義と捉えてください。

 

感情の高い知覚は、感情的な健康を保つ

「自分や他人の感情がよく分かり、感情や社会的関係を適切にコントロールしたり対処したりできる能力」を「感情知能(情動知能:Emotional intelligence)」と呼ぶそうです。(Salovey & Mayer, 1990)

 

そしてこの感情知能は、自分の感情がよくわかるほど、高いコントロール力を持つそうです。つまり、自分の感情をよく理解していれば、感情的な健康を持てるということですね。

また、感情は身体感覚とも結びついていると言われます。身体感覚は以前に外的身体と内的身体にわけられるというお話をしたのですが、特に感情は内的身体と連動していると言われています(内的受容感覚)。

 

この上記二つのことを踏まえると、感情的な健康のためには

・自分の感情をよく理解してること

・自分の身体の中の状態をよく理解していること

が大切だということがわかります。

 

では、この「よく理解している」というのはどういう意味なのでしょうか?

 

身体の感覚に敏感なほど、感情的健康が保てる

Pollatos, Matthias, & Keller, 2015の実験では、心拍知覚課題*1の成績がよいほど、感情制御尺度の成績が良かったという結果がでたそうです。

 

また、Herbert & Pollatos, 2012やMurphy et al., 2018の論文では、逆に、自分の感情がわからない人々は、自分の内的身体感覚も分かっていないといったことを示しています。アレキシサイミアという、自分の感情を知覚するのが難しくなる病気があります。その患者を対象として心拍知覚課題の実験をしたところ、アレキシサイミアの患者は内受容感覚の正確さが低下しているという結果が出たそうです。

 

この2つから言えることは、やはり、自分の内的身体の感覚に敏感であるほど、感情の制御ができている、ということでしょう。

 

一方で、この「自分の内的身体の感覚に敏感であるほど、感情的な健康を保てる」という説を覆す例もあります。

 

身体の感覚に敏感だけど、精神的に不安な状態なのはなぜ

例えば、不安や抑うつ摂食障害などの感情に関する精神疾患患者は、しばしば身体の不調を強く訴えることがあります。つまり、内的受容感覚が敏感で、かつ感情的に負の状態になっているということです。

なぜなのか?この解釈として、福島さんは、以下の3つのことを挙げていますす。

①感度が不適切(強すぎる/弱すぎる)

②認知の問題

③不正確な知覚

①は、ちょうど良い敏感度合いを通り過ぎて、極端に敏感すぎるということ、

②は、特定の身体感覚に負の感情が紐付けされている(不適切な認知バイアスや信念)ということ、

③は、内的受容感覚が敏感なのではなく、むしろわからないので、過剰に推測している

ということです。

 

また別の反例として、アレキシサイミアは、内受容感覚が低下する一方で、胃腸への刺激、空腹感やのどの渇きなどのある特定の身体感覚には過敏になることがみられたりするそうです。

福島さんはこれについても3つの解釈を挙げています。

①ネガティブな認知バイアス

②認識不全による不調

③「統合情報」の必要性

①は身体知覚自体は鈍感だが、身体感覚に関する偏ったネガティブな認知が発生しているという解釈です。

②は個別の身体感覚の意味づけ(例えば胃が緊張しているのは、空腹なのかストレスなのかといったこと)が適切にされておらず、ゆえに、ある特定の身体感覚には敏感に反応してしまうということです。

③については、そもそも正常な知覚情報の処理とは、個別の情報を統合して、全体的なパターンを見出す「中枢性統合」という理論に基づいています。アレキシサイミアの場合は、この情報統合ができていないゆえに起こりうるが、個別の器官の情報は過敏に知覚されたり、されなかったりするために起こるということです。

 

自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?

以上の情報を踏まえると、自分自身を理解しようとすることは、基本的にメンタルヘルスケアに貢献する一方で、その理解をする過程のなかで、認知バイアスが生じていないかを問う必要があると言えそうです。メタ認知のさらにメタ認知ということでしょうか。よく理解、とはこういうことかもしれません。

 

ただ、これは正確な認知だ、これは不正確な認知だ、というのは、心拍知覚課題を自分でやるなどしないと測れません。また、身体知覚は心拍以外にもいろいろあります。

もし正確な認知が難しいのだとしたら、バイアスがかかるをもう大前提として、正の感情のバイアスにリフレームしてしまうのもいいかもしれませんね。

 

参考

Herbert, B. M., & Pollatos, O. (2012). The Body in the Mind: On the Relationship Between Interoception and Embodiment. Topics in Cognitive Science, 4, 692–704. 

Murphy, J., Catmur, C., & Bird, G. (2018). Alexithymia is associated with a multidomain, multidimensional failure of interoception: Evidence from novel tests. Journal of Experimental Psychology: General, 147, 398–408

Pollatos, O., Matthias, E., & Keller, J. (2015). When interoception helps to overcome negative feelings caused by social exclusion. Frontiers in Psychology, 6, 786.

Salovey, P., & Mayer, J. D. (1990). Emotional inteligence. Imagination, Cognition and Personality. 

*1:被験者の心拍数の実測値と、被験者が感じた心拍数の報告の差異を調べる。この差異が小さいほど、内的受容感覚が”敏感”と判断される。

内受容感覚と感情

感情はどうつくられるか?こんなテーマでちょっとなうで論文を読んでいたのですが、「内受容感覚」という言葉が出てきたので、

福島宏器. (2018). 身体を通して感情を知る―内受容感覚からの感情・臨床心理学―. 心理学評論, 61(3), 301-321.

をもとに、簡単にまとめます。

感情と関連する身体

感情は「身体」と密接に関わるものといわれています。

身体は大きく2つに分けられます。

└外的身体(空間内に位置づけられる体積と動きをもった筋骨格系)

└内的身体(内臓系や自律神経系・ホルモン系・免疫系などの生理状態いや生理活動)

このうち、「内受容感覚/内臓感覚」とは、後者の内的身体に関する感覚のことをいいます。

例として

ex. 感情に伴うドキドキ、冷や汗、息詰まり、体水分量、体温、血糖値

があるようです。

 

ちなみにこの逆のものは「自己受容感覚」といます。

例としては

ex.骨格筋の伸展情報、身体の傾き

があるようです。

感情と身体の連動、どちらが先?

①個別の身体整理状態、脳活動→基本感情
(Ekman, Levenson, &Friesen, 1983;Adolphs et al.,2005;Suzuki et al., 2006)

ex.心拍数や体表温度によって基本感情が推測できる。

  ある脳部位に障害が生じると、特定の感情が失われる

②基本感情→個別の身体整理状態、脳活動
(Lindquist et al., 2012;Barrett, 1998, 2017)

ex.恐怖感情で心拍数が上がる

③特定の感情に固有の身体・脳パターンは存在いない
(Russell, 2003;Russell & Barrett, 1999)

身体状態がいきなり種々の感情 として解釈されるのではなく,まず原初的で単純 な身体認識のプロセスがあり,それにもとづく中核的な感情(affect)=コア・アフェクトがある。(中略)

コア・アフェク トが,いわば「感情のもと」となり,これがさらに文脈や記憶等の情報と合わせて解釈されるという認知プロセスによって,怒りか悲しみかという 感情の種類が決まると考える

すなわち、外からの刺激を受けると、「コア・アフェクト」と呼ばれる、”単純な感情”が生成される。そのコアアフェクトの状態によって、これまでの経験や外の情報からの推測により、「その刺激は何なのか?」という解釈がなされ、そこではじめて”私達たちが認識できる”基本感情が生まれるということのようです。。

 

では”単純な感情”のコア・アフェクトと、”私たちが認識できる”基本感情は何が違うのでしょうか?

コア・アフェクトは感情価(valence)と覚醒度(arousal)で形成されています。

感情価とは、それがいわゆるポジティブなものか、ネガティブなものか、という軸、

覚醒度とは、どれだけ心か活性するか、もしくは強い反応なのか弱い反応なのかという軸、と解釈されます。

 

Barrett et al., 2004の実験によると、

覚醒度フォーカスには身体感覚(とくに内受容感覚)を 重視することが対応していると考えられる。一方で,感情価フォーカスには,体外的な情報(例えば社会的文脈など)を重視すること

とされています。これは簡単に言うと、感情の単純な強さや弱さは体の内部の感覚に対応して生成され、感情がポジティブかネガティブであるかは、体の外で理解できることに対応して生成されるということのようです。

 

参考

Adolphs, R., Gosselin, F., Buchanan, T. W., Tranel, D., Schyns, P., & Damasio, A. R. (2005). A mechanism for impaired fear recognition after amygdala damage. Nature, 433, 68–72. 

Barrett, L. F. (1998). Discrete Emotions or Dimensions? The Role of Valence Focus and Arousal Focus. Cognition and Emotion.

Barrett, L. F., Quigley, K. S., Bliss-Moreau, E., & Aronson, K. R. (2004). Interoceptive sensitivity and self-reports of emotional experience. Journal of personality and social psychology, 87, 684–697.

Barrett, L. F. (2017). The theory of constructed emotion: an active inference account of interoception and categorization. 

Craig, A. D. (2002). How do you feel? Interoception: the sense of the physiological condition of the body. Nature reviews. Neuroscience, 3, 655–666. 

Ekman, P., Levenson, R., & Friesen, W. (1983). Autonomic nervous system activity distinguishes among emotions. Science. 

Russell, J. A. (2003). Core affect and the psychological construction of emotion. Psychological Review, 110, 145– 172.

Russell, J. A., & Barrett, L. F. (1999). Core affect, prototypical emotional episodes, and other things called emotion: dissecting the elephant. Journal of personality and social psychology, 76, 805–819

Sherrington, C. S. (1906). The Integrative Action of the Nervous System. NewHaven, CT.

Suzuki, A., Hoshino, T., Shigemasu, K., & Kawamura, M. (2006). Disgust-specific impairment of facial expression recognition in Parkinson’s disease. Brain, 129, 707–717

Lindquist, K. A., Wager, T. D., Kober, H., Bliss-Moreau, E., & Barrett, L. F. (2012). The brain basis of emotion: A meta-analytic review. Behavioral and Brain Sciences.

ナッジ理論

意識していないけど、思わず行動してしまう。

そんな人間の行動を理論的にとらえた学問、行動科学の中にあるのが「ナッジ理論」です。

簡単な例でいうと、道路の白線。道路の両端に白い線が引かれているだけなのに、自然と車は端を走らずに道路の中心をを走ろうとしますね。そんな感じ。

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このような実際の現象を例に、あるデザインや間接的な働きかけによって、ある行動が促されてるなぁということはこれまでも感じていたが、それを「ナッジ」という理論で説明されていることを最近知りました。

今回はちょっとそれについてまとめます。

と思ってなんや調べたら環境省の資料でまとめられているらしい。

 

ナッジ理論でノーベル経済学賞を受賞したセイラーの定義によると

選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測 可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素

Leonard, T. C. (2008). Richard H. Thaler, Cass R. Sunstein, Nudge: Improving decisions about health, wealth, and happiness.

ということ。

うん。うん?

ちょっと抽象化されすぎていてわかりにくいので部分部分での意味を見ていきましょう。

選択を禁じることも、②経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、③人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素

①あくまで個人の選択権があること(強制ではない)

②お金あげるからやってね!というお金だけの有益性だけで動いてもらうわけではない

③行動科学(行動経済学、心理学、社会学認知科学、脳神経科学など)の知見や理論に基づいて

④人々が選択する際の「環境」のこと=自発的な意思決定のための環境をどうデザインするか

ということです。

簡単にいうと、「人が”思わずやってしまう/せずにはいられない”行動を意図的に作り出すモノ」ということですね。

 

ではでは、どういう場面で使われるのでしょうか?

セイラーさんがノーベル”経済学”賞を受賞したことから推察すると、なんとなく、企業のマーケティング施策で、人が商品を買う仕組みを作るため理論とも考えられそうです。

ただ、最近はSDGsや脱酸素、貧困問題などあらゆる社会課題解決を進めていくための一人一人の行動変容を促すためにも活用されているみたいです。

だから環境省の資料にまとめらているんですね。

 

また、こちらのページを参照すると、医療検診の受信率を高めるための施策としても活用されているよう。

www.yomiuri.co.jp

 

面白いですね。

人々を好ましい方向動かすことを直接的にはたらきかけることが「啓発活動」だとしたら、間接的にはたらきかけることが「ナッジ」。

 

よく、「人は正しいことを真正面から言われると逆にその正しいことを拒絶する」と言いますが、そういった人の心理に対してうまく活用していけたら、ですね。

 

コミュニティ能力

簡単にいうと、コミュニティの問題解決能力のことです。

 

コレトル(Lenard Cottrel)はコミュニティの問題解決能力について

①コミュニティの諸問題とニーズを認識するために効果的な協働ができる

②コミュニティの目標と優先課題についての作業的合意を構築できる

③合意された目標の実現手段・方式について合意できる

④必要なアクションをとるために効果的に協働できる。

などの特徴があるといっています。

 

素人ヘルスワーカー(Lay health worker)

米国ミシシッピ・デルタ地帯で実施されていたプログラム。

コミュニティメンバーの健康を促進したり、ヘルスケアサービスを十足させるために、ヘルスケアの専門家ではない一般人に何らかのトレーニングを受けてもらい、活動してもらう。

(Lewin, S., Dick, J., Pond, P., Zwarenstein, M., Aja, G. N., van Wyk, B. E., ... & Patrick, M. (2005). Lay health workers in primary and community health care. Cochrane database of systematic reviews, (1).)

コミュニティの一般メンバーにヘルスワーカーとして活動してもらうことを通じて、一般メンバーの学習を促し、コミュニティ能力を向上させることを目的として実施。

 

課題提起型教育(probrem-Posing education)

1960年代にブラジルの教育学者パウロフレイレ(Paulo Freire)が開発した。

学習者が能動的な「主体」として教師や他の学習者との対話に参加し、彼らをパワレスにしている政治的・経済的・社会的条件を意識化し、その変革に挑戦していくことを支援・促進する。

(川村尚也. (2003). 健康教育のためのコミュニティ組織とコミュニティビルディング--多文化社会における知識創造のための多文化組織へのアプローチ 2. 経営研究, 53(4), 151-165)

学習者と教師は対等な関係であることが前提で、「傾聴ー対話ー行動」(listening-dialigue-action)と反省(reflection)を行なっていく。

この課題提起型教育はフレイレが生きた時代のブラジルの、文字の読めない農民に対して、彼らが置かれている現実を「読む」ことを「促す」ことを目的として開発された。

銀行型学習