自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?
ウェルビーイングの向上だとか、メンタルヘルスの促進だとかのために、「自己分析」や「自己理解」「自己認知」が必要だと聞くことが多くなった気がします。
ちょっと前までは論理的な正しさや数学的な正しさに沿って、禁欲的に、感情をコントロールして物事を遂行することが大事にされていたけれど、そうした客観的に正しいことを優先して、「私は」という主観を排除した結果、メンタルズタボロになりました…みたいな人が多くなってきたようで。
そこで最近聞くのは「身体感覚」とか「直感的なこと」とか、「私はどうしたいか/どう感じるか」といったことの重要性です。
就職活動でも「自己分析」というのはいわずもがなの必須事項ですし、何か物事を始める時には「原体験」があるといいなんて言われたりします。
ただ一方で、こんなこともあります。
不安な気持ちを抱えている人の話を聞いていると、「もしかしたら、ああかもしれない」「前にこんなことがあったから、次もああなるかも…」みたいにあれこれと思考を巡らせた結果悩みに悩んでいるということです。
そんな人には「あまり考えすぎるな」とか「もっと楽観的に」といったアドバイスをする人も多いでしょう。となると、あまり自分のことについてあれこれ考えすぎないほうが精神的な健康が保てるようにも思います。
というわけで、今回は「自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?」という疑問を解くために、
福島宏器. (2018). 身体を通して感情を知る―内受容感覚からの感情・臨床心理学―. 心理学評論, 61(3), 301-321.
を、読んでいきます!
なお以下では、「メンタルヘルスケア」を「精神的な健康」とか「感情的な健康」と言ったりします。正確な定義は違ってくるのですが、同義と捉えてください。
感情の高い知覚は、感情的な健康を保つ
「自分や他人の感情がよく分かり、感情や社会的関係を適切にコントロールしたり対処したりできる能力」を「感情知能(情動知能:Emotional intelligence)」と呼ぶそうです。(Salovey & Mayer, 1990)
そしてこの感情知能は、自分の感情がよくわかるほど、高いコントロール力を持つそうです。つまり、自分の感情をよく理解していれば、感情的な健康を持てるということですね。
また、感情は身体感覚とも結びついていると言われます。身体感覚は以前に外的身体と内的身体にわけられるというお話をしたのですが、特に感情は内的身体と連動していると言われています(内的受容感覚)。
この上記二つのことを踏まえると、感情的な健康のためには
・自分の感情をよく理解してること
・自分の身体の中の状態をよく理解していること
が大切だということがわかります。
では、この「よく理解している」というのはどういう意味なのでしょうか?
身体の感覚に敏感なほど、感情的健康が保てる
Pollatos, Matthias, & Keller, 2015の実験では、心拍知覚課題*1の成績がよいほど、感情制御尺度の成績が良かったという結果がでたそうです。
また、Herbert & Pollatos, 2012やMurphy et al., 2018の論文では、逆に、自分の感情がわからない人々は、自分の内的身体感覚も分かっていないといったことを示しています。アレキシサイミアという、自分の感情を知覚するのが難しくなる病気があります。その患者を対象として心拍知覚課題の実験をしたところ、アレキシサイミアの患者は内受容感覚の正確さが低下しているという結果が出たそうです。
この2つから言えることは、やはり、自分の内的身体の感覚に敏感であるほど、感情の制御ができている、ということでしょう。
一方で、この「自分の内的身体の感覚に敏感であるほど、感情的な健康を保てる」という説を覆す例もあります。
身体の感覚に敏感だけど、精神的に不安な状態なのはなぜ
例えば、不安や抑うつ、摂食障害などの感情に関する精神疾患患者は、しばしば身体の不調を強く訴えることがあります。つまり、内的受容感覚が敏感で、かつ感情的に負の状態になっているということです。
なぜなのか?この解釈として、福島さんは、以下の3つのことを挙げていますす。
①感度が不適切(強すぎる/弱すぎる)
②認知の問題
③不正確な知覚
①は、ちょうど良い敏感度合いを通り過ぎて、極端に敏感すぎるということ、
②は、特定の身体感覚に負の感情が紐付けされている(不適切な認知バイアスや信念)ということ、
③は、内的受容感覚が敏感なのではなく、むしろわからないので、過剰に推測している
ということです。
また別の反例として、アレキシサイミアは、内受容感覚が低下する一方で、胃腸への刺激、空腹感やのどの渇きなどのある特定の身体感覚には過敏になることがみられたりするそうです。
福島さんはこれについても3つの解釈を挙げています。
①ネガティブな認知バイアス
②認識不全による不調
③「統合情報」の必要性
①は身体知覚自体は鈍感だが、身体感覚に関する偏ったネガティブな認知が発生しているという解釈です。
②は個別の身体感覚の意味づけ(例えば胃が緊張しているのは、空腹なのかストレスなのかといったこと)が適切にされておらず、ゆえに、ある特定の身体感覚には敏感に反応してしまうということです。
③については、そもそも正常な知覚情報の処理とは、個別の情報を統合して、全体的なパターンを見出す「中枢性統合」という理論に基づいています。アレキシサイミアの場合は、この情報統合ができていないゆえに起こりうるが、個別の器官の情報は過敏に知覚されたり、されなかったりするために起こるということです。
自己理解はメンタルヘルスケアに貢献するのか?
以上の情報を踏まえると、自分自身を理解しようとすることは、基本的にメンタルヘルスケアに貢献する一方で、その理解をする過程のなかで、認知バイアスが生じていないかを問う必要があると言えそうです。メタ認知のさらにメタ認知ということでしょうか。よく理解、とはこういうことかもしれません。
ただ、これは正確な認知だ、これは不正確な認知だ、というのは、心拍知覚課題を自分でやるなどしないと測れません。また、身体知覚は心拍以外にもいろいろあります。
もし正確な認知が難しいのだとしたら、バイアスがかかるをもう大前提として、正の感情のバイアスにリフレームしてしまうのもいいかもしれませんね。
参考
Herbert, B. M., & Pollatos, O. (2012). The Body in the Mind: On the Relationship Between Interoception and Embodiment. Topics in Cognitive Science, 4, 692–704.
Murphy, J., Catmur, C., & Bird, G. (2018). Alexithymia is associated with a multidomain, multidimensional failure of interoception: Evidence from novel tests. Journal of Experimental Psychology: General, 147, 398–408
Pollatos, O., Matthias, E., & Keller, J. (2015). When interoception helps to overcome negative feelings caused by social exclusion. Frontiers in Psychology, 6, 786.
Salovey, P., & Mayer, J. D. (1990). Emotional inteligence. Imagination, Cognition and Personality.
*1:被験者の心拍数の実測値と、被験者が感じた心拍数の報告の差異を調べる。この差異が小さいほど、内的受容感覚が”敏感”と判断される。