心理研究ノート

教育心理学系の院進学を目指す学部4年です。勉強のための研究ノートです。

パーソナリティ障害一覧(Personality disorder)

 

演技性パーソナリティ障害(Histrionic personality disorder)

  • 自分の身体的外見を利用し,他者の注意を得るために不適切に誘惑的または挑発的な形で行動する。
  • 自主独往の感覚を欠いており,非常に被暗示性が高く,しばしば他者の注意を維持するために服従的に行動する。
  • 継続的に注目の的になることを求め,そうなっていない場合にしばしば抑うつを生じる。患者はしばしば活発,劇的,情熱的でなれなれしく,新しい知人を魅了することもある。
  • 自分の外見で他者に印象づけたいと考え,そのため自分の外見にとらわれていることが多い。
  • 感情の表現は表面的(急に感情を消したり,見せたりする)で誇張されていることがある。話しかたは劇的で,強い意見を述べるが,その意見を裏付ける事実または詳細はほとんどない。

(MSDマニュアルプロフェッショナル版, Lois Choi-Kain , MD, Harvard Medical School)

 

自己愛性パーソナリティ障害(Nursistic personality disorder)

  • 自分の能力を過大評価し,自分の業績を誇張する。自分が優れている,独特である,または特別であると考えている。
  • 自分の価値および業績についての過大評価はしばしば他者の価値および業績の過小評価を含意する。
  • 大きな業績という空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること,名声および影響力をもつこと,または素晴らしい恋愛を経験すること―にとらわれている。
  • 普通の人とではなく,自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えている。このような並はずれた人々との付き合いは患者の自尊心を裏付け,高めるために利用される。


<演技性パーソナリティ障害との違い>

他者の注意を惹こうとすることは両方のパーソナリティ障害に特徴的である。しかし,自己愛性パーソナリティ障害患者は,演技性パーソナリティ障害患者とは異なり,注意を惹くために気取ったことやばかげたことをするのを非常に嫌い,賞賛されることを望む。

(MSDマニュアルプロフェッショナル版, Lois Choi-Kain , MD, Harvard Medical School)

 

境界性パーソナリティ障害(Boundary personality disorder)

  • 自分が見捨てられたり,無視されたりしたと感じると,強い恐れや怒りを感じる。見捨てられることを恐れるのは一部には1人になりたくないためである。
  • 他者に対する見方を急激かつ劇的に変える傾向がある。関係の早期には,患者は面倒をみてくれる人や恋人になる可能性のある人を理想化し,多くの時間を一緒に過ごし,あらゆるものを共有するよう求める。
  • 突然,患者は相手が十分に気づかってくれないと感じ,幻滅する;そして相手をけなしたり,相手に怒ったりすることがある。
  • 白か黒かという思考法(善と悪の分裂,分極化)がある

<演技性パーソナリティ障害または自己愛性パーソナリティ障害との違い>

これらの障害のいずれかを有する患者も注意を惹こうとし,操作的に振る舞う場合があるが,境界性パーソナリティ障害患者は同時に自分を悪人と考え,空虚感を抱いている。

(MSDマニュアルプロフェッショナル版, Lois Choi-Kain , MD, Harvard Medical School)

 

依存性パーソナリティ障害(Dependant personality disorder)

  • 誰かに服従することで他者に自分の面倒をみてもらおうとする。
  • 典型的に,通常の判断を下す際に大量の安心および助言を必要とする。患者はしばしば他者,しばしば1人の人間に,自分の生活の多くの側面について責任を負ってもらう。例えば,患者は配偶者に依存し,何を着て,どのような種類の仕事を探し,誰と付き合うべきかを教えてもらう。
  • 自分が劣っていると考え,自分の能力を卑下する;患者はあらゆる批判や否認を自分の無能力の証拠と受け取り,さらに自信を失う。
  • 支持や承認を失うことを恐れるため,他者との意見の相違を表明することが困難である。
  • 他者の支援を失うリスクを冒すくらいなら間違っていることがわかっていることに同意する場合もある。怒りが適切な場合でも,患者は支援を失うことを恐れて友人や同僚に怒りを向けない。

(MSDマニュアルプロフェッショナル版, Lois Choi-Kain , MD, Harvard Medical School)

 

回避性パーソナリティ障害(Avoidant personality disorder)

  • 自分が批判されたり,拒絶されたりすること,または他者に気に入られないことを恐れる。
  • 厳格な検証によりそうではないことが証明されるまで,他者は批判的であり,不満を抱いていると考えている。このため,この障害の患者は,グループに加わり,親密な人間関係を築く前に,繰り返し支持され無批判に受容されることにより安心する必要がある。
  • 社会的交流を望んでいるが,自分の幸福を他者の手に委ねることを恐れている。このような患者は人との交流を限定するため,比較的孤立する傾向があり,必要な場合に患者が助けを求められる社会的ネットワークをもたない。

(MSDマニュアルプロフェッショナル版, Lois Choi-Kain , MD, Harvard Medical School)

クライエント中心療法(Client-centered approach)

クライエント中心療法(Client-centered approach)はロジャーズが創始した心理療法です。

指示的治療から、非指示的治療へ

ロジャーズが研究をしていた1940年代当初、精神分析や診断は「指示的な方法や解釈」を主としていました。

しかし、ロジャーズはそのような権威的な両方を批判し、「非指示的な傾聴技法」を開発しました。

 

実現傾向の促進

さらにロジャーズは、人間には元来「実現傾向(actualizing tendecy)」が備わっていると考え、クライエント自身の実現傾向を最大限に発揮することを治療の目的としました。

実現傾向とは、

人に備わっている

基本手基本的動因として、成長・健康・適応に向かい、有機体を維持し強化する傾向

です。

 

クライエント中心療法の条件

ロジャーズは上記に述べた、非指示的カウンセリングにおいて、クライエントの実現傾向を促進するための治療法を「クライエント中心療法」としました。

その条件を6つにまとめています。

①クライエントに対する無条件の肯定的配慮

②クライエントに対する”共感的理解

③セラピストが自身の感情を否定することなく意識化できており、かつその内容を必要
であれば表現できるという自己一致した状態にあること

(セラピストの3条件)

④クライエントとセラピストが心理的接触をもっていること

⑤クライエントは現実の体験と自己像が不一致で不安な状態にあること

⑥セラピストの無条件の肯定的配慮と共感的理解がクライエントに伝達されていること

 

参考情報

子安増生・丹野義彦・箱田裕司 (2021)『有斐閣現代心理学辞典』有斐閣

母親の原初的没頭(primary meternal preoccupaation)

母親の原初的没頭(primary meternal preoccupaation)とは、ウィニコット(Donald W. Winnicott)によって提唱された、子を生んですぐの母親の精神状態を示した概念です。

 

ウィニコットは、乳児の母親は、生物学的にも心理学的にも、自分の子どもの欲求に対して、特別注意を向けるように考えられているとしました(Winnicott, 2016)。

 

参考情報

Winnicott, D. W. (2016). The collected works of DW Winnicott. Oxford University Press.

間主観的理論(Theory of intersubjectiv)

間主観的理論(Theory of intersubjectiv)

(ネットでは調べ切れないので、まだメモ段階です。こちらを読んで随時更新します。)

こちらのサイトでは、

二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていること。
この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。

とされています。(文章の後半に記述される優劣については諸所の論を要検討かもしれません。)

 

噛み砕いて説明すると、
主観と客観について、
・主観的=「ある1人の個人の立場から見た見解」
・客観的=「みなす対象から完全に俯瞰している立場から見た見解」
と仮定したときに、主観的立場を複数持ち、その中庸・折衷的な立場をつくることで、見解の妥当性を高めるということなのでしょうか。

 

また、安村(2007)では、

Stolorow,R.D.らが提唱する間主観性理論は、コフート自己心理学理論から発展した新しい精神分析理論として近年注目されている。彼らは、これまでの古典的な精神分析が前提としてきた自然科学的、客観主義的なスタンスを完全に否定し、治療場面において起こっていることはすべて、治療者の主観とクライエントの主観の交流によって生み出された間主観的な現象として捉え、クライエントの自己体験のあり様に焦点を当てたアプローチの必要性を主張している。間主観性理論は、現象学的な議論や哲学的思索を含み、難解な理論的側面を有しているが、そのアプローチは極めて臨床的で重要な治療的感覚を我々に提示しているように思われる。

と記述されています。


ここから読み取るに、自然科学的な客観性重視の立場から批判されてきた臨床的な治療方法を、「間主観性」という考え方によって再検討して、その治療の妥当性を論じようとした、ということかと思われます。

 

さらに(完全に理解はしきれていませんが)、この「間主観的」を成立するための「2人以上の対象」は必ずしも分離した個体(一般的に言う人間2人)というわけではなく、一つの個体の中にいる複数の自己という考え方もありそうです。

(さらにサーベイする必要がありそうです。)

 

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追記:

金田(1991)にて、E.フッセルの哲学的立場から間主観性についての考察が、丁寧に説明されていました。その中で紹介されていた『哲学概念辞典(Wörterbuch der philosophischen Begriffe)』の「intersubjektivat」を引用します。

主観の総体にとって妥当するもの、さまざまな主観によって共同して体験されたもの、表象されたもの、思惟されたもの、認識されたもの、評価されたもの

金田(1991)を読む限り、間主観性の議論は、その語用よりかは、概念が提唱された背景を理解することに、意義がありそうです。

 

間主観性とは、

主観対客観という認識の二項対立式をのりこえる概念としての哲学の分野で脚光を浴びる

とされています。間主観性理論において要とされるフッセルは

幾何学的理念性(あらゆる科学の理念性もまさしくそうなのだが)は、もともとは人格内部にある起源から発していかして理念的客観性に達するのであろうか。実に起源において、この理念性は最初の創案者の心の意識空間のうちでの形成物でしかないからである。

と指摘し、金田はこれに対し

幾何学的理念性を筆頭にあらゆる科学の理念性は、時間空間を超脱した永遠の真理ではなく、その起源をそれを創案した人格の人称の刻印を逃れることができない、ということである。客観的真理とみなされているものも、各々の人にとって真理とみなされるものにすぎない。客観的真理は間主観的真理にすぎないということである。

と解説しました。

(随時追記)

参考情報

金田 晉. (1999). 表現の間主観性現象学的問い(1). 表現における主観性と間主観性, 2-11

安村直己. (2007). 間主観的アプローチから見た治療的やり取りの検討. 甲子園大学紀要= Bulletin of Koshien University, (35), 203-218.

 

漸成説(epigenetic theory)

漸成説(epigenetic theory)

生物の発達の過程を示す理論です。

心理学辞典によると、

生物の形態や構造が、発生の過程を通じて分化することにより,漸次に形成されていくという説であり,前成説と対立する。

とされています。

ここに書いてある前成説とは、心理学辞典によると、

生物において発達を遂げる諸組織・器官は,発生の出発時すでにおのおのの萌芽をもっており,それらが予定調和的に次々と開花していくのだという説のこと

とされています。

少し説明がややこしいですが、簡単にまとめると以下ということでしょうか。

つまり、

漸成説とは、「生物の発達は、諸所の環境などの影響を受けて漸次的に変化していく」

という考え方で、

前成説とは、「生物の発達は、予め決まった到達点に向かって徐々に形成されていく」

という考え方の違いということです。

前者は、生物の発達に際限はないと考え、後者は際限があると考えるのでしょう。

 

漸成説は、

発達心理学における機能発達の一般原理として発展した

前成説は

17〜18世紀に流布した生物発生についての一つの考え方

19世紀に入って否定し去られた。

とされているので、漸成説は私たちにとっては疑うことのない当たり前のこととして意識されているのでしょうね。

 

しかし前成説も、

20世紀も後半になって,分子生物学の知見が明らかにされるにつれ,じつは萌芽がDNA情報として染色体に貯えられており,さらにそれらを開花させるためにのみ作用する遺伝子も発見されて,今日リバイバルしつつある。

と説明されており、遺伝子の類によっては、予め決まった到達点に向かうものもあるということのようです。

 

参考

中島, 増生, 子安, 算男, 繁桝, 裕司, 箱田, 清志, 安藤, 雄二, 坂野, 政夫, 立花 (1999)「心理学辞典」『有斐閣

症状代替(Symptom substitution)

症状代替(Symptom substitution)とはフロイトによって提唱された精神分析理論の一つです。

APAによると、

治療の結果、解消された症状に代わって、ある症状が発現すること。元の症状の原因である無意識の衝動や葛藤に効果的に対処していない場合に生じると言われている。

とされています。

つまりある病気や症状が出たときに、その症状自体は治るものの、また別の病気や症状を罹患する、ということです。

 

本当にこんなことがあるのでしょうか?

臨床的には見られるものの、この現象についての科学的・量的研究があまりないために多方面からの批判もあるようです。

 

フロイトは自身が提唱したイド、エゴ、スーパーエゴ(id, ed, superego)の理論からこの現象を捉えました。

もともと発症していた病気を「葛藤」ととらえ、この葛藤は、無意識の衝動と、意識的なエゴの抑圧との間に生じると考えました。

治療とは、この葛藤を抑圧することなります。治療は、精神科医や臨床家によって行われるのはもちろん、自己の意識下のエゴの作用によるものも含みます。
しかしこの葛藤は消えることはありません。

フロイトはこの葛藤がまた別の症状として体現されると考えました。これが症状の代替です。

 

参考情報

APA symptom substitution (https://dictionary.apa.org/symptom-substitution)

Mind hack Whatever happened to symptom substitution? (https://mindhacks.com/2008/07/26/whatever-happened-to-symptom-substitution/)

ホールディングの環境(holding enviroment)

ホールディングの環境(holding enviroment)とは、イギリスの精神分析ウィニコットによって提唱された理論です。

アメリカ心理学会(American Psycoligical Association)の定義によると、

in the object relations theory of British psychoanalyst Donald Winnicott (1896–1971), that aspect of the mother experienced by the infant as the environment that literally—and figuratively, by demonstrating highly focused attention and concern—holds him or her comfortingly during calm states. 

とされています。

ざっくりいうと、乳幼児にとって必要な環境として示され、母親から非常に注意と関心を向けられ、慰めてもらえる穏やかな環境のことを指すそうです。