心理研究ノート

教育心理学系の院進学を目指す学部4年です。勉強のための研究ノートです。

間主観的理論(Theory of intersubjectiv)

間主観的理論(Theory of intersubjectiv)

(ネットでは調べ切れないので、まだメモ段階です。こちらを読んで随時更新します。)

こちらのサイトでは、

二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていること。
この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。

とされています。(文章の後半に記述される優劣については諸所の論を要検討かもしれません。)

 

噛み砕いて説明すると、
主観と客観について、
・主観的=「ある1人の個人の立場から見た見解」
・客観的=「みなす対象から完全に俯瞰している立場から見た見解」
と仮定したときに、主観的立場を複数持ち、その中庸・折衷的な立場をつくることで、見解の妥当性を高めるということなのでしょうか。

 

また、安村(2007)では、

Stolorow,R.D.らが提唱する間主観性理論は、コフート自己心理学理論から発展した新しい精神分析理論として近年注目されている。彼らは、これまでの古典的な精神分析が前提としてきた自然科学的、客観主義的なスタンスを完全に否定し、治療場面において起こっていることはすべて、治療者の主観とクライエントの主観の交流によって生み出された間主観的な現象として捉え、クライエントの自己体験のあり様に焦点を当てたアプローチの必要性を主張している。間主観性理論は、現象学的な議論や哲学的思索を含み、難解な理論的側面を有しているが、そのアプローチは極めて臨床的で重要な治療的感覚を我々に提示しているように思われる。

と記述されています。


ここから読み取るに、自然科学的な客観性重視の立場から批判されてきた臨床的な治療方法を、「間主観性」という考え方によって再検討して、その治療の妥当性を論じようとした、ということかと思われます。

 

さらに(完全に理解はしきれていませんが)、この「間主観的」を成立するための「2人以上の対象」は必ずしも分離した個体(一般的に言う人間2人)というわけではなく、一つの個体の中にいる複数の自己という考え方もありそうです。

(さらにサーベイする必要がありそうです。)

 

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追記:

金田(1991)にて、E.フッセルの哲学的立場から間主観性についての考察が、丁寧に説明されていました。その中で紹介されていた『哲学概念辞典(Wörterbuch der philosophischen Begriffe)』の「intersubjektivat」を引用します。

主観の総体にとって妥当するもの、さまざまな主観によって共同して体験されたもの、表象されたもの、思惟されたもの、認識されたもの、評価されたもの

金田(1991)を読む限り、間主観性の議論は、その語用よりかは、概念が提唱された背景を理解することに、意義がありそうです。

 

間主観性とは、

主観対客観という認識の二項対立式をのりこえる概念としての哲学の分野で脚光を浴びる

とされています。間主観性理論において要とされるフッセルは

幾何学的理念性(あらゆる科学の理念性もまさしくそうなのだが)は、もともとは人格内部にある起源から発していかして理念的客観性に達するのであろうか。実に起源において、この理念性は最初の創案者の心の意識空間のうちでの形成物でしかないからである。

と指摘し、金田はこれに対し

幾何学的理念性を筆頭にあらゆる科学の理念性は、時間空間を超脱した永遠の真理ではなく、その起源をそれを創案した人格の人称の刻印を逃れることができない、ということである。客観的真理とみなされているものも、各々の人にとって真理とみなされるものにすぎない。客観的真理は間主観的真理にすぎないということである。

と解説しました。

(随時追記)

参考情報

金田 晉. (1999). 表現の間主観性現象学的問い(1). 表現における主観性と間主観性, 2-11

安村直己. (2007). 間主観的アプローチから見た治療的やり取りの検討. 甲子園大学紀要= Bulletin of Koshien University, (35), 203-218.